
大学の職業心理学の先生の広告や印刷物の仕事を昔請け負っていた。夕方ゼミや研究のお仕事の後夕方4時くらいから大学が閉まる夜遅くまでよくお話をさせて頂きました。
15年位前だろうか。震災の前ぐらいである。印刷会社の営業をしていました。37,38歳くらいか。談合の取りまとめを主導する会社で色々やらされていた。同業者とのやり取り、マネジメント的な役割。裏切り、しらばっくれの、真面目な人、いろいろだ。本来の仕事(営業・企画・売り上げ)に支障がでる。ストレスの塊になる。本来クライアントのためにエネルギーを注ぐべきなのに質を保ち、レベルアップするのにほとほと疲れ切っていた。その頃、よく直属の上司と同業者の人間と酒を飲みの行っていた。会社の愚痴やら他社の悪口。慰めあっていた。何となく楽しくバカをして紛らわしていた。
何も解決しないんだけど。その頃、古い付き合いのある小さな印刷会社のオーナーの方から独立のオファーがきた。
その頃は40前で会社の将来性、仕事の流儀、生き方に悩み、また、会社に方針と自分の仕事のやり方に乖離があり悩んでいた。半分鬱。印刷会社のオーナーの要件としては700万円で会社を買い取れと。借金はあるが金はない。どうしよう?
それが2011年9月ぐらい。それで先程の大学の心理学の先生が出てくる。地元の友人、同業者仲間、特に仲の良い直属の上司。
しがらみ的な付き合いが煩わしく感じてきていた。先生に相談すると。木村さんは独立するべきだと言われた。心療内科の臨床の分野では薬やメンタルヘルス的な治療でケアしようとするが、環境が変わらない限り元に戻ると言われた。だから環境を変えた方が良いと。そして今までの付き合いはしなくてよいと。切った訳ではない、「ステージが変わった」と言われた。スッと物の怪が落ちたような、腑に落ちる気がした。決して裏切るわけではない。ステージが変わったのだから付き合う人間関係も変わる。悪いことではないのですと。はぁ~納得、納豆食う~。ステージチェンジ「ステチェン」だ!
そのあと俺は親に謝金をし、共同経営者を集め資金を集め、12月に退職。翌年6月に起業した。当年600万返済した。
その後も元上司の電話は鳴りやまず。飲むときは自宅まで送り迎え。暇なし口の電話。オイラ従業員5人くらい抱えて大忙し。相手にしてられない。元上司も会社辞めるやめないでオイラと大喧嘩。エースセブンビルのスナックで殴られる、流血。▼公園追い回され。翌日診断書。結局談合でしか仕事取れないんだよね。勇気がない。だってほとんど県の教育庁のお仕事だから。
多分にオイラに甘えていただろう。話を聞いてくれ人、酒飲んでも送ってくれる人、納品てっだってくれる人いなくて不安・不安・ファン・ファン♪というわけで断捨離。いっぱい敵を作る羽目に。元居た会社・仲間だった同業者に嫌がらせの日々を過ごしつつ今までやってまいりました。ここで感じたのは人は無意識のうちに人を引き留めようとすること。やめていく人間であったり、恋愛上の分かれ、仲のいい友人などなど。ルサンチマン的なもでもあるかも。そんな思いで、記憶の中でオイラたちは生きているのかもしれない。そんなものに囚われてはいけない、負けるな、前に進めと言い聞かせながら囚われている。
関わりたくないと思いながら半面囚われているのも事実。勝ち負けを何処かで意識しているウ自分。あーやだな~。俺って小さいな~。どうでもいいならほっといてくれよと思うが相手はそうは来ない。
困ったもんだ。
ちゃんちゃん💛